大事になる仕事

会津若松市の現場は床の断熱材の施工が終わりました。

床、壁、天井、断熱はどの部分も大事ですが、何より寒さは足元から感じるもの。
しっかりと断熱材を入れ、少しの隙間も無いように気密テープを貼って気密性を高めていきます。

  

先日のフェリー事故のニュース、会津でも話題になっていますね。
その内容を見るに、人災と表現できる事故のように思え、心が痛みます。

経営者は海や船のことを何も知らない。知識や経験豊富な社員を辞めさせた。故障や破損を放置した。周囲からの様々な懸念や提案に耳を傾けず、経費削減や利益重視の経営を強行した。

毎日の報道で明るみになる情報に耳を疑うばかりで、部外者の私でさえやるせなさを感じます。
と同時に、なんだか非常に身近な問題だとも思いました。

建築業界でも、あたらずといえども遠からずな報道がこれまでもあったし、今後も起こり得ると。

カネの事はもちろんそうですが、私が実感として思うのは何より、知識を持たない人間の判断ほど怖いものは無い、という点。

知識の無いことがだめなのではない。知識が無いなら有る者に教えを請えば良い。
どこかの時点で見栄や驕りが優先される。お客さんの前で知らないと言えないとか、ただ数をこなしただけで建築を知ったつもりになっているとか。あくまでも例えですが。

そのうち、最も大事にしなければならない人の命のことを忘れる瞬間がある。

ほころびは小さな事から始まる。ほんのささいな事。小さなことは気付かれにくかったり、たまたまうまくいったりする。いずれ取り返しのつかない事が起きて初めて、最初のあれがほころびだったと気付く。

当初使う予定だった材料を後から変更したとか。現場に確認せずお客さんに「出来ますよ」って言っちゃったとか。知識の無いのを逆手に取って責任を担当者に押し付けるとか。よくある事です。あくまでも例えの話。

  

少なくとも私は、私がお客様と直接話して提案して作る家は、私が全ての工程を監理しています。細かいとかめんどくさいと言われようが、(そもそもの私の性分ではありますが笑)うるさく監理することが私の仕事であり私の責任だからです。自分の知識と経験を尽くし、時には周りに教えを請いながら、安心して暮らしていける家を作ります。
私がやってることが誰より最高だとは思っていません。今でも迷うし、知らないことも多い。もっと知識・経験がある人は沢山いるし、志をもって大事に家をつくっている人も確実にいます。家を建てる時には、価格や売り文句の向こう側にいる相手が信用に足る人物・会社なのかをじっくり観察してみることをおすすめしたい。

毎度、話がそれましたが、現場はゴールデンウイーク前にサッシの取り付けを終えました。
建て方から怒涛のように進めてきた木工事。ここでやっと、ひと区切り、といったところです。