最近の仕事

昨年の秋に喜多方のリフォームの仕事を終えてからは、しばらく外部の仕事に携わっていました。
他社設計の新築住宅の木工事や、他社の規格住宅の確認申請書類作成等。

他社設計の現場は、自分ではやらないプランニングや使わない素材などと出会うことがあるので、沢山の刺激があります。なぜこういう設計になったのか?なぜここにこの素材を使っているのか?自分が設計するならどうするか。

設計だけを仕事にしていたら、他社の建築現場と密接に関わって細部まで見ることはまずありません。これは大工だから成せる業。

設計にしろ大工にしろ、長年同じ仕事をしていると周りから刺激を受ける機会が少なくなるし、それを自分に取り入れる柔軟さも鈍ってしまう。

あっちこっちから情報が入って来るし、「これいいな」と刺激を受ける機会も多い。私の仕事(大工として他社の仕事もやり、建築士として自分で設計も行う)はイイトコ取りで恵まれた環境なのかもしれません。

と、ここまでは表向きの話。物事には、良い面もあれば、また別の側面もあるわけで。

 

正直言って、私は「建築が好きじゃない人」と仕事をするのは苦痛です。

設計だって大工だって、依頼されれば当然、まじめに仕事をします。私の根底にはこの仕事が好きで、多少なりとも誇りもあるし、愛着もある。他の人にも同じだけ仕事に愛を持て・・・とは言わないが、あまりに心の無い仕事を目にした時、本当にがっかりする。

定時まで現場にいることが仕事になっている人、目の前の数字しか見えていない人、自分のプライドを守るのが最優先で仕事がおざなりになっている人。別に誰がどういう仕事をしようが私の知ったことではないが、それにしても、その仕事の先にいる「住む人」のことを考えていない人間が多すぎる。長期優良住宅などと言えば聞こえは良いが、住む人の事を考えない仕事の実情は穴だらけ。体裁ばかりで中身の伴わない家ほど虚しいものは無い。

依頼された仕事については完遂するつもり。しかし裏を返せば、依頼されていない職域に私が口出しすることは無いし、もとよりそんな権利は無いということだ。私が元請けとなって作るお客様の家は私が出来得る限りの最善を尽くすが、そうではない設計のみ・木工事のみの仕事については出来る範疇に限界がある。

クレームは生まれるべくして生まれる。トラブルは起きるべくして起きる。万全を期していてもクレームやトラブルを100%防ぐことが難しいのに、これではさもありなん。建築を好きでもない、興味も無い、単なる商売道具でしかない。浅学の自覚無く向上心も無い。どんな業界にもピンからキリまで色々あり、働く人の仕事に対する考え方も色々ある。

自分の仕事が好きだとはっきり言える人間は多くない。しかし少なくとも、自分の仕事に誇りを持つことは出来る・・・というか当然ではないか。自分のやっている事の意義・責任を考えない人間と仕事をしていると、言いようのない虚しさがこみあげることがある。

学ぶこと、想像すること、人をよく見ること、そして立ち返ること。周りに対して何か思う時、自分はどうだ、と問うこと。忘れずにいたいものです。